Category: 文学 Tags: ---
告白 湊かなえ著

原作の小説を嫁が持っていて、先にそっちを読んでから
映画版を鑑賞しました。
以下、ネタバレ注意です。
・
・
・
冒頭から森口先生の「告白」スタイルで映画は進む。
その後も、人を変えての「告白」というものをベースに進む事から、どこか第三者的な目線での映画であり、淡々とおぞましい出来事を振り返っているようにも見える。
それと同時に、森口も自分のやり方で、静かに淡々と復讐を実行していく。
雑然としている教室。
もはや日常風景と化しているイジメ。
軽々しく幼児を死なせてしまう中学生。
復讐を実行する幼児の母であり担任教師。
映画は、これらの今や異常とは言えないような日常を、誰かの視点を中心にする訳でもなく、誰かに感情移入させる事を狙うでもなく、淡々と「告白」をベースに描いてみせる。
こいつら一体何を考えてるんだ?
分からない。
分からせようとしていないのでは?と思える程、無機質で冷たい。
あれで森口は少しは気が晴れるのであろうか?
「犯人」の生徒2人は、あのまま精神崩壊して立ち直れないのだろうか?
雨の中、森口が激しく泣き、慟哭するシーンですら「馬鹿馬鹿しい・・・」とつぶやいてスタスタと歩き始めさせてしまう。
ラスト、「ここから、あなたの更正の第一歩」と言いながら
「なんてね!」とおちゃらける森口。
そんな心と体温と人間を失ったかのような森口は、
本当に修哉の母の元に爆弾を届けたのだろうか?
本当に母親は修哉がスイッチを押した事で爆死してしまったのだろうか?
映像では爆破シーンはあるものの、イメージ映像とも解釈でき、真相は曖昧だ。
だけど、そんな事はどっちでもいいのかもしれない。
修哉に大切なものが消える音を聞かせるのが目的なのだから。
それも、「パチン」でなく「ドッカーーン!」という音を。
大切な物を奪われた母の復讐。
それは、奪った生徒自身の手で、その生徒の一番大切なものを奪わせるという事。
その事実を一生背負わせる事。
エイズ患者(森口の旦那)の血を混ぜた牛乳を飲ませる事なんて復讐じゃない。実際、飲ませていないようでもある。
多くの大切な命が簡単に奪われる映画。
奪った者、また奪った者の心情を特段掘り下げる事もしていない。
たくさんの命が奪われ、奪い、奪った者も不幸になる
そうやって映画は終わる。
本当に後味が悪い。
救いようがない。
希望も無いし、どんな理由があっても、人の命を奪ったり弄んだりする事は受け入れられない行為である。
だからこの映画に拒否反応を示す人が居ても全く不思議では無いし、逆に軽々しく「面白かった」と言っちゃう人こそ実は恐ろしい人なのかもしれない。
幼い一人娘を生徒に殺された担任教師・森口悠子。
その復讐とは、その生徒の大切な母親を生徒自身の手で殺させる事。
主犯とも言える修哉に至っては、同級生の女の子まで撲殺し、
冷蔵庫にブチ込むという転落っぷり。
もう一方の直樹は、母に刺され、刺され方が浅かった事もあって
逆に刺し返して殺してしまう。
いずれも相当な流血シーンを伴う残虐な描写だ。
R15+も致し方無いだろう。
そして繰り返しになるが、救いようも無く、後味が悪い。
そんな後味が悪い映画で、冷酷に復讐を実行していくのが松たか子。
細かい事は言いません。とにかく演技はとても良かった。恐ろしかった。
松たか子の新境地だと思った。
ちなみに、殺された娘の愛美ちゃんは、芦田愛菜ちゃんだ。
まったく虐待されたり殺されたりと、若干5歳にして凄い「女優」です。
熱心なのは結構なのだが、どうにもこうにもウザくて空気も読めないウェルテル(岡田くん)、モンスターペアレントとも言える直樹の母(木村さん)、そして生徒たち。
全体的に、芝居としては上手くまとまっていました。
でも、その芝居をもってしても「希望」や「現代社会へのメッセージ」は感じられません。
何度も書きますが、後味が悪く、救いようがありません。
観る側が、この映画を通じて感じた事を、
自分の中で救いを持たせなければならない映画だと思います。

スポンサーサイト