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ブックオフにて。
なんとなくサブカルチャーの本が並べられているところを眺めていた。
「音楽」「映画」のように、ジャンルが表示された札のようなものが本を仕切っている。
そんな中、こう書かれた仕切りがあった。
「モーパッサン」
このインパクトはすごい。
なぜならモーパッサンだからだ。それをサブカルチャーのコーナーに見つけたのだ。
なんだこの名前は。
「モー」と来て、「パッ」と受けて、「サン」で落とす。名前の中に起承転結にも似た流れが存在する。
もしくは、「モー」でだらだらしたところを、「パッサン!」と力技で取り返す。名前にも関わらず、その中にストーリーがあるのだ。
発狂の後に精神病院で死亡したというモーパッサン自身の人生を重ね合わせると、より一層深みが増す。
どうしてフランスの文豪の名前がここにあったのか、そもそもなぜモーパッサンなどという仕切りを立てるまでもない人物のものが存在したのかといったことは、この際は問題ではないのです。
なぜならモーパッサンだからである。
「映画」「音楽」「モーパッサン」だ。
ここはモーパッサンでなければいけなかった。トルストイやヘミングウェイではだめだ。ドストエフスキーは惜しいが、モーパッサンには敵わない。
ちなみに、その仕切りが立てられていたところにモーパッサンの本は一冊も置いていなかった。
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八日目の蝉 角田光代著

映画化されて物凄く酷評されていますね。
原作はとても読み易く、一気に読破してしまいました。
お風呂でね。しかも2回。
ワタクシ的には新興宗教を隠れ蓑に使い逃走を図る件に
当時感が出てて、とても興味深かったなぁ。
八日間生きてしまった蝉はナニを思うのか。
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ケープ・フィアー 主演ロバート・デ・ニーロ
あらすじは・・・(コピペです。)
レイプ罪により14年間の獄中生活を終えたばかりのマックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)は、自分を敗訴に導いた弁護士サム・ボーデン(ニック・ノ
ルティ)に対する復讐を誓い、サムばかりか妻のレイ(ジェシカ・ラング)や娘ダニエル(ジュリエット・ルイス)の前にも姿を現すようになった。愛犬が殺さ
れ、サムの愛人ローリー(イレーナ・ダグラス)が襲われるが、マックスの犯行とは認められない。ダニエルにマックスが接近したことを知ったサムは私立探偵
カーセク(ジョー・ドン・ベイカー)を雇い、力づくでマックスを町から追い出そうとするが、鍛え抜かれた肉体を持つマックスには通用せず、逆に暴行罪で告
訴されてしまう。焦るサムは自宅にマックスをおびき寄せるが、またもや逆襲にあい、せっぱつまった一家は、夜、密かに町を離れハウスボートのあるケープ・
フィアーへ向かった。しかしマックスは、執拗に追い続け、岸を離れた一家を襲撃。嵐の中、悪夢のような復讐劇が繰り広げられるが、一家は命からがら脱出に
成功。鬼と化したマックスは深い海へと引き込まれていくのであった。
単純にデ・ニーロのファンなら楽しく見れますが、内容はキツめでございます。
スーパーマッチョなデ・ニーロ兄貴がとにかく大暴れします。
作品ごとに見事に変貌するデ・ニーロ兄貴、凄すぎます。

↑
マックス(デ・ニーロ)のTATTOOです。
右は聖書にTRUTH(真実)
左は短剣にJUSTICE(正義)
それが十字架で出来た天秤に架けられています。
「実はどちらも薄っぺらなモンなんだよ」
という解釈をワタクシは作品を見終わり感じました。
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半島を出よ 村上龍著

まず、半島とは北朝鮮の事です。
龍大先生に申し訳ないのですが、あらすじをすごく要約させていただくと・・・。
「北朝鮮の反乱軍」という体の侵略軍が九州を乗っ取り
「国家として独立してしまおう」という計画のもと、
北朝鮮の軍隊(コリョ)が乗り込んで来ました。
突然のクーデターに対し、いままで侵略された経験の無い日本政府は
武装した軍隊を指を咥えて傍観するしかすべが無く、九州の人間全てを人質に捕られた
日本政府は「九州を日本から引き離す」と言う未曾有の決断をしました。
そんな大騒ぎの最中に、自称詩人の「イシハラ」という、
なにやらスゴいオーラをまとったカリスマ詩人の下で暮らす
落ちこぼれの少年たちが、特に団結するワケでもなく
北朝鮮軍隊の本拠地である「海の鷹ホテル」を爆破しようという計画を立てます。
しか~し!この少年たちは一般人から見向きもされないような犯罪者で
皆、複雑な家庭で育ち、かなりひねくれていまして、それぞれ
「毒生物」・「爆弾」・「銃器」・「建築構造」・「テロ」
等を独自に学習していた少年たちなのでした。
こんな感じです。たしか・・・。
とにかく登場人物が多く複雑な内容で、なおかつ触れる話題の量も膨大で・・。
がしかし!!村上龍大先生の世界観にドップリとハマってしまいます。
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ボロボロになった人へ リリー・フランキー著

本屋大賞に選ばれ、ドラマに映画に舞台にとまさにマルチメディア展開した「東京タワー」をどうしても意識しながら読み始めたのだけれど、まったく世界観の異なる
リリー・フランキーのダークサイドと対峙する。
『死刑』の中で展開される、見世物としての死。観賞用の娯楽としての他人の死。
しかしそれすら日常化する事で刺激を失うので、死刑の手段がエンターテインメント化されエスカレートする。
法相が在任中3度目となる死刑執行にサインをしたと言う事実がニュースになる現代。
現行法制度では、死刑は適法であり、司法により死刑と裁かれた以上は執行するのが必然だと思うのだが。ただし死刑がもたらすものは何なのか。本当に死刑は順法の精神を培うのだろうか。
あ、きっと本編のテーマはこう言う事ではないのだと思う。脱線。
『おさびし島』のラストで、有名な漱石の一説“智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。”が引用されるシーンがあるのだが、世代を超えて、時と場所を超えて、受け継がれるフレーズ。それは真実。
真実と正義。重いのはどっちだ。そう問い掛けた『Little baby nothing』の答えが最高。
修は思う、俺だけは違う。いつの日か大空を羽ばたけるはず。根拠の無い自信。
フィーゴも何かやってやろうと思う。大きな事をしてやろう。皆のために。
私もこの世に生まれた証を残したい、名を残す生き方をしたい、そう思っていた。
ところが冒険を続ける勇者じゃなくても、当たり前の毎日と言う平凡な世界に於いても
さまざまな戦いは待ち構えていて、ボロボロにこそならなくても、傷つき倒れそうな瞬間はある。
それぞれの世界の中でジタバタ足掻いたり、浮かれポンチになったり、ハラハラドキドキしたり、ワクワクドキドキしたり、
言い訳しながら、そんな毎日を一日、また一日と重ねていくのだろう。現代に生きる人として。
そして偶に、こんな一冊に出会ったりするんだろう。